シャルルヴィル旅記
去年の11月にシャルルヴィルを訪れた旅記
写真は11月の旅の写真にまとめてある。
1日目
パリ東駅に早く着いてしまったので、しばらく周辺を散歩した。
近くのゴシック建築の教会を見ていたらフランス共産党(PCF)の人からビラをもらった。
電車を待ち、13時前のシャルルヴィル・メジエール行きの鉄道に乗る。
途中で一度乗り換えてシャルルヴィルに着いたのは15時半ごろだった。
シャルルヴィル・メジエール駅から宿に向かう。 ホテルは古い建築を改装してそのまま使っていて水回りが不便なものの、レトロな雰囲気がよかった。 部屋の窓からはランボオの顔が描かれたグラフィティが見えた。
荷物を置いてシャルルヴィル市街を散歩する。 街中の店や看板、壁にランボオの顔や名前がある。
アルデンヌ県の県庁所在地であるシャルルヴィル・メジエールは、ランボオにとってそうであったように、退屈な地方都市と言った感じだが、街は狭く密集していて、それなりに人通りが賑わっていた。
店は夕方のごく短い時間しか開いていないものが多く、夜になると一部以外ほとんど閉まる。 街の本屋も閉まっていて、週の数日程度しか開いていないようだった。
なにか食べようと思ったときには多くの店が閉まっていたので夜は小さな売店でバゲットを買って宿で食べた。 店に剥き出しでおいてあり、半分に割ってビニール袋に入れて渡された。
シャルルヴィル・メジエール駅 シャルルヴィル市街地 クリスマスのための設営中のデュカーレ広場 ムーズ川



2日目
朝、川沿いをずっと散歩し、隣の街まで歩く。
戻ってきて広場にあるハンバーガー屋でバーガーを食べた。 本屋を覗いたらランボオの特設コーナーもあった。
ランボオの墓地へ向かいながら街の写真を撮った。 街の映画館でカミュの「異邦人」の映画をやっていたので見ようかと思ったが、時間が合わなかった。
ランボオの命日だったがアルチュール・ランボオ博物館は定休で、街も何かしらのイベントは無いようだった。
夜はトルコ系のレストランで食べた。
しばらく夜の街を散歩して宿へ帰る。
Ma Boheme(わが放浪)のグラフィティ ランボオの像、アルチュール・ランボオ中学校の前にある。 ランボオの墓


3日目
ランボオ博物館とランボオの実家へ ランボオ博物館の受付の人はフランス語のみを話し、翻訳アプリと近くにいた英語を話すフランス人観光客に助けてもらった。 助けてくれた観光客は自分がリュックを置き忘れたことを教えてくれたりと親切だった。
ランボオ博物館には、詩の原稿、幼少期の絵や文章、ランボオを描いた絵画、ランボオの遺品の荷物やヴェルレーヌがランボオを撃った銃と同型の銃などが展示されている。 博物館は水車小屋を改装しら建物で、エレベーターで一度3階へ登り、そこから下へ降りながら展示を観ていく。途中の通路には肩にジャケットをかけた現代風のランボオを描いた有名なグラフィティもあった。 ランボオが青年期を過ごした実家は1階が売店になっていて2階3階ではさまざまな現代のアーティストの作品が展示されていた。
写真と本を記念に売店で買った。 少し時間が余ったのでまたランボオの墓参りへ行く。 駅に戻る途中パンを買い、シャルルヴィルを後にしてブリュッセル中央駅へ発った。
初めてランボオを読んだのは15歳の終わりか、16歳になったばかりの秋だったと思う。
彼の詩と人生は自分の10代後半におけるバイブルだった。 最初は小林秀雄訳のランボオに引き込まれ、様々な翻訳や解説を集めた。
読み返すたびに、何らかの発見があった。 それは青年期の実存的探求の旅と重なり、旅路の行く先々にランボオの足跡を見つけた。 彼の遺伝子は彼の足跡を辿るものたちの中に受け継がれ、残した詩は後の時代に現れる対抗文化、芸術、哲学、ありとあらゆる反抗のすべてを先取った。
10代が終わり20歳になる頃、『地獄の季節』の終章『訣別』の意味や、詩を放棄したランボオが何を考えていたのか、そうしたことを繰り返し思索した。 シャルルヴィルでの滞在は、人生におけるそういった"実存の季節"への墓参りのようなものだった。
アルチュール・ランボオ博物館 ランボオの青年期の実家 Ernest Pignon-Ernestのランボオのグラフィティ ヴェルレーヌがランボオを撃ったホテル跡地の記念プレート(ブリュッセル事件)


